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新潟地方裁判所佐渡支部 昭和42年(ワ)40号 判決

原告 鈴木茂信

被告 佐渡トラツク株式会社

主文

一  被告は原告に対し金二七六万円及びこれに対する昭和四二年八月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告の勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金三二六万円及びこれに対する昭和四二年八月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

請求棄却

三  請求の原因

1  訴外甘草八十治は、昭和三六年一〇月七日午前九時ころ、新潟県佐渡郡佐和田町大字沢根質場地内の県道(いわゆる本線)を、被告会社所有の普通貨物自動車(一あ-三三四二号)を運転して、相川方面から両津方面に向けて進行中、道路が鋭く屈折して左右の見通しのきかない曲り角にさしかかつたにもかかわらず、徐行をしないばかりか、道路の右側部分にはみだして進行したため、折柄同所左側部分を対向して進行してきた原告運転の自動二輪車に正面衝突した。

その結果、原告は右下腿複雑骨折の傷害をうけて、直ちに佐渡総合病院に入院し、右大腿中央部切断のやむなきに至り、以後昭和三八年一〇月までの間三回にわたり、同病院で入院加療をうけた(その間退院していたのは一か月にすぎない。)。その後も約半年間同病院高千診療所に通院した。

2  被告会社は加害車両を所有し、自己のため運行の用に供していたものである。

3  原告は、本件交通事故により受傷した結果、次のような損害を蒙つた。

(一)  休業補償

原告は本件事故当時ヨーロツパパン製造所に工員として勤務し、一か月金一万五、〇〇〇円の給料を得ていたが、本件事故のため二年にわたる入院加療をしいられ、その間得べかりし収入金三六万円を失つた。

(二)  慰謝料

原告は、本件事故当時いまだ二二才の健康な青年であつたが、本件受傷により二年にも及ぶ入院加療を余儀なくされ、その間十数回にのぼる手術をほどこされた。のみならず、右大腿部を中央から切断され、これから長い一生を不自由で、肩身のせまい不具者として過さなければならない苦痛は到底はかりしれないものがあり、これを慰謝するには、被告から金三〇〇万円の慰謝料をうけるのが相当である。

4  よつて、原告は被告に対し金三三六万円の損害賠償請求権を有するところ、被告は昭和三六年一〇月一二日金一〇万円を支払つただけであるから、残額金三二六万円及びこれに対する不法行為の後である昭和四二年八月三日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

四  請求の原因に対する認否

1  請求原因第1、2項を認める。

2  同第3項は知らない。

3  同第4項中、被告が金一〇万円を支払つたことは認めるが、その余は争う。

五  抗弁

かりに、被告が原告に対し不法行為に基く損害賠償の義務ありとしても、原告は事故当時すでに損害の発生及び加害者を知つており、本訴はそれから三年を経過したのちに提起されたものであるから、原告の本件損害賠償請求権は時効によつて消滅しており、被告は昭和四三年一月八日の本件口頭弁論期日において右時効を援用した。

六  抗弁に対する認否

原告の本件損害賠償請求権が時効により消滅しているとの点は争うが、その余の事実はすべて認める。

七  再抗弁

1  昭和三六年一〇月一二日、被告は、本件事故による損害賠償の義務あることを認めて、原告の母鈴木マツヱとの間に、次のような内容の示談契約を結んだ。

すなわち、(1)  被告は、原告に対し、損害賠償金として金一〇万円を支払うほか、原告が本件事故により受けた傷害が治癒したのち、原告を被告会社に雇傭し、四か月目からは原告の労働能力の如何にかかわらず正社員としての給料を支給する。(2) 原告は、本件事故に関し、他になんらの請求をしない。

しかして、原告は昭和三七年三月母マツヱの右行為を追認した。

2  被告は、右約旨にもとづき、昭和三七年三月六日原告を臨時職員として採用したが、三か月を経過するも、原告を正社員として遇しなかつたのみか、昭和四一年七月には突如解雇予告をなし、その後も原告らの再三の要求にもかかわらず昭和四二年三月まで臨時職員のままに放置するなど、著しい不信行為を続けた。

3  かくて、原告はやむなく同年三月被告会社を退職して前記示談契約を解除し、その結果、本件交通事故による損害賠償請求権は復活したが、このような場合、右請求権の消滅時効は復活した時から起算すべきである。

八  再抗弁に対する認否

1  再抗弁第1項は否認する。もつとも、原告主張の日に、被告が原告の母マツヱとの間で本件交通事故に関し示談契約を結んだことはあるが、その内容は、被告が原告に対し損害賠償金として金一〇万円を支払うことにより、一切を解決するというものであつた。

2  再抗弁第2項を否認する。被告が昭和三七年三月六日原告を臨時職員として採用したこと及び昭和四一年七月原告に対し解雇予告を発したことはあるが、これらは本件交通事故又はそれに関する示談契約とはなんらの関連もない。

3  再抗弁第3項中、原告が昭和四二年三月被告会社を退職したことは認めるが、その余の事実は否認する。

九  証拠〈省略〉

理由

一  損害賠償請求権の存否

1  請求原因第1、2項は当事者間に争いがないから、被告は、加害車両の運行供用者として、原告が本件交通事故により受傷した結果蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

2  時効の抗弁について

原告は本件事故当時すでに損害の発生及び加害者を知つており、本訴はそれから三年を経過したのちに提起されたこと及び被告が昭和四三年一月八日の本件口頭弁論期日において時効を援用したことは、原告の認めて争わないところであるから、時効の中断その他時効の完成を妨げるべき事情がないかぎり、原告の本件損害賠償請求権は消滅したものといわなければならない。

3  時効未完成の再抗弁について

成立に争いのない甲第二、証人鈴木マツヱ、同権代重吉及び同本間三重子並びに原告本人の各供述に、次のような諸事情、すなわち、(一) 本件交通事故は被告側の一方的過失によるものであり、その結果も極めて重大であつて(このことは当事者間に争いがない。)、よほど特別の事情でもないかぎり、強制保険金一〇万円のみで一切を解決することなど到底考えられないところ、本件にそのような特別事情の存在をうかがわせるに足りる資料は全くないこと (二) 被告は、原告の傷害がいまだ完全に治癒しない昭和三七年三月には、すでに原告を雇傭し(このことは当事者間に争いがない。)、以後原告が入院中も給料を支給しつづけたこと(証人権代重吉の供述により認められる。) (三) 被告会社は経営不振に陥り、昭和四一年七月には、臨時職員全員に解雇予告を発したが、原告側が本件交通事故及びこれに関する示談の存在を理由に抗議した結果、原告については直ちに解雇予告が撤回されたこと(証人鈴木マツヱの供述により成立の認められる甲五、成立に争いのない甲六、証人本間敏夫の供述により認められる。)等をあわせ考えれば、

(一)  昭和三六年一〇月一二日、被告が、本件事故による損害賠償義務あることを認めて、原告の母鈴木マツヱとの間に、(1)  被告は、原告に対し、損害賠償金として金一〇万円を支払うほか、原告が本件事故により受けた傷害が治癒したのち、原告を被告会社に雇傭し、六か月を経過したのちは原告の労働能力の如何にかかわりなく正社員としての給料を支給する (2)  原告は、本件事故に関し、他になんらの請求をしないとの示談契約を結んだこと

(二)  原告は、昭和三七年三月被告会社に入るに先立ち、当事者双方が原告方に集つて話し合つた際、母マツヱの右行為を追認したこと

を認めることができ、これに反するようにも受けとれる証人内海三郎及び同本間敏夫の各供述は信用できず、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

しかして、前掲甲五、六、成立に争いのない甲七1、証人鈴木マツヱ及び同鈴木義明並びに原告本人の各供述に、右認定事実をあわせ考えれば、被告は右示談契約にもとづき昭和三七年三月六日原告を臨時職員として採用したが、六か月を経過するも原告を正社員として遇せず、昭和四一年七月には突如経営不振を理由に解雇予告を発したこと、この解雇予告は原告側の抗議にあつて直ちに撤回されたが、その後も原告側の再三の要求にもかかわらず昭和四二年三月まで原告を臨時職員のままに放置するなど、長期にわたつて不信行為を続けたことを認定することができ、これに反する証拠はない。これらの事実によれば、被告には本件示談契約の継続を著しく困難ならしめるような不信行為があつたものというべく、原告は、改めて履行の催告をするまでもなく、直ちに本件示談契約を解除しうる権利を取得したものということができる。

ところで、証人鈴木マツヱ、同鈴木義明及び同本間三重子並びに原告本人の各供述を総合すれば、原告は、被告会社のこのような違約にもかかわらず、しばらくの間勤務を続けてきたが、昭和四二年三月になつて、漸くその仕打ちに業をにやし、将来に不安を感じて、ついに退職するに至つたことが認められる。これに、証人鈴木義明の供述によつて認められる、同人の原告退職当時における被告会社との折衝の経過をあわせ考えれば、原告は退職当時暗黙のうちに前記示談契約を解除する旨の意思を表示したとみることができる。

かくて、本件交通事故にもとづく原告の本訴損害賠償請求権は、昭和四二年三月、前記示談契約の解除により復活したものというべきところ、同請求権は、昭和三六年一〇月一二日被告がこれを承認して示談契約を締結した時から右復活の時まで、法律上消滅しており、その権利行使は不可能であつたから、これに関する消滅時効は右復活の時からあらためて進行するものといわなければならない。しかるところ、原告の本訴提起が昭和四二年七月二三日であることは当裁判所に顕著であるから、本件損害賠償請求権について消滅時効が完成していないことは明らかである。

二  損害額

1  休業補償

原告本人の供述によれば、本件交通事故の当時、原告はヨーロツパパン製造所に工員として勤務しており、諸手当も含めて、一か月金二万一、〇〇〇円ないし二万三、〇〇〇円の給料を得、住込みの食費を控除されても、手取り額はなお一万八、〇〇〇円程度あつたこと、原告は昭和三六年一〇月受傷以来昭和三八年一〇月まで入院加療をうけ、その間に退院したこともあつたが、その期間は一か月にすぎず(このことは被告の認めて争わないところである。)、右退院時においても稼働にたええなかつたことが認められ、これに反する証人権代重吉の供述は信用しない。

右事実によれば、原告は、右期間内に、少なくとも得べかりし収入金三六万円を得ることができず、同額の損害を蒙つたものということができる。

2  慰謝料

当事者間に争いのない事実及び関係各証拠によれば、次の諸事実を確定することができる。

(一)  原告は、本件事故当時いまだ二二才の健康な青年であつたが、被告側の一方的な過失により、右下腿複雑骨折の傷害をうけ、二年にも及び長期入院をしいられた。退院後も、約半年間は週二日の割で通院し、治療をうけた。

(二)  その間に一七、八回も手術をほどこされたが、結局右大腿部を中央から切断され、これから長い一生を不自由で、肩身のせまい不具者として過さなければならない境遇におとしいれられた。

(三)  被告は、本件のような重大な事故を起しながら、とりあげるにたりるほどの失費を全くしていない。すなわち、原告に支払つた金一〇万円は強制保険から出たものであり、治療費は国民健康保険及び社会保険から支弁されている。

(四)  被告は、前認定のような示談契約を締結しながら、その履行に全く誠意を示さず、長い間原告を窮境に放置した。

これらの事情を考えれば、原告が本件交通事故によりうけた精神的苦痛は大きいものといわなければならず、(一) 本件事故発生以来かなりの時日が経過していること (二) 原告は、被告会社を退職した後一年間身体障害者職業訓練所に入所し、現在では義肢工として一応の安定を得ていること (三) 原告は知的能力の面で必ずしも十全でないふしがうかがわれること等の事情を考慮しても、なお、被告が原告に支払うべき慰謝料は金二五〇万円が相当である。

三  結論

結局、原告は被告に対し金二八六万円の損害賠償請求権を取得したものというべきところ、うち金一〇万円はすでに支払いをうけたというのであるから、原告の本訴請求は、主文第一項掲記の限度で理由があるということができる。よつて、その限度で請求を認容し、その余の部分は棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐久間重吉)

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